今回の旅程は4泊5日。京都を北~東、西、南に分けて周る。まずは体力のあるうちに北のはずれの鞍馬山に向かう。

快晴。京都は盆地の上、建物の高さが制限されているので空が広い。祇園四条は観光客も地元の人も多いようだけど、開放感にあふれている。恋人たちが等間隔に座るという鴨川は、まだ早朝だからなのか、もう寒い季節だからなのか、人はまばらだ。

すぐそばには南座がある。正面から見るよりも、橋の方から見た方が立派に見える。
鞍馬山に行くには、まず京阪本線で北に向かう。ずいぶん南北に長い路線で、鴨川の横に沿って地下を走っている。鴨川の水が流れ込んでしまわないだろうか。
出町柳に着いた。京都は北に行くほどお金持ちらしい。どこまでが高級エリアでどこからが郊外なのかはわからないが、このあたりの人はずいぶんおしゃれだ。化繊ではない高そうなスーツに磨かれた革靴、ウールのコートを着こなし、ハットまでかぶっている。ブランドロゴとか派手な色づかいではない、引き算のおしゃれだ。そういえば、京都は町並みも引き算か。

ここからは叡山電車に乗り換える。一両しかない電車で、ホームも駅もかわいらしいサイズだ。運よく、ガラス張りの観光車両に乗ることができた。地元の人が利用する様子とはまた違うのだろうけど、座席が窓側に向いていて町並みがよく見える。列車は家と家の間を進んでいく。京都の古い家は見ている分には風情があるが、実際に住むには寒そうだ。
森見登美彦の『太陽の塔』では夜の叡山電車の様子が描かれていた。小さな電車の明かりに照らされるシーンが記憶に残っている。でも今は家々の明かりを受けながらひっそりと走る電車を想像してしまう。また夜に乗ってみたい。
北上していくと新しい立派な家が増えてきた。京都らしい瓦屋根の和風建築だが、先ほどまでよりも現代的な住まいに見える。こういう家なら住んでみたい。そろそろ高級エリアというよりは郊外だと思うけど、十分高そうな住宅街だ。

叡山電車の見どころの一つ、もみじのトンネル。貴船の手前あたりにあり、ここを通るときは電車が減速してくれる。京都の例年の紅葉の見ごろは11月末ごろだそう。しかし、今年は夏から秋にかけての暑さの影響で、紅葉の時期が後ろ倒しになっていて、丁度良いタイミングで来ることができた。山の方に近づいているから大分散り始めているし、地元の人の話によると今年は暑さの影響かあまり発色がよくないらしいが、それでも車両がオレンジ色に包まれる様子は見事だった。

鞍馬に着くと、巨大な天狗が迎えてくれる。山を登って修行すれば、僕も天狗パワーを授かれるに違いない。

森見登美彦の『夜行』では、鞍馬は怪奇現象の始まりの地だった。今は見る限りそのような怪しさはない。火祭りの時期に来れば何か感じ取れるものがあるだろうか。

すぐ隣の宿坊。修行の地なのだろうけど、旅館のように立派に見える。こういうところにも泊まってみたい。

仁王門をくぐると、ケーブルカーがある。しかし僕は修行に来たのだ。山道を選んで歩いて登っていく。それにどうやらケーブルカーはそんなに長いものではないらしい。結局は自分の足で進まねばならない。



途中にある由岐神社とご神木。あまりに巨大で、てっぺんを見上げようとすると階段を転げ落ちそうだった。

鞍馬寺は源義経が幼少時代を過ごした場所としても有名だ。平家に敗れた源義朝の子である義経は、僧侶になることを条件に生かされ、鞍馬に幽閉されていた。昼は学問に励み、夜は天狗と武芸の修行をしたとされる。

子供のころ、義経が好きだった。当時は活字が得意ではなかったので、結局義経記も平家物語も最後まで読んでいないのだけど、沢田ひろふみの『遮那王義経』という漫画がお気に入りだった。本当の源義経は病死していて、歴史上活躍したのは実は影武者であるという設定のフィクションだが、歴史の大枠はなぞっていたはず。平家の打倒を掲げて鞍馬で10年を過ごしたというと苦しそうに聞こえるが、その作中では鞍馬での暮らしが結構のびのびと描かれていた。

鞍馬での暮らしが苦しかったか、それとも拠り所であったのかは本人にしかわからない。ただ、この山の様子を見る限りは、それが荒んだものではなかったように思える。

義経最後の地である奥州平泉には学生の時に足を運んだ。夏だったということもあるが、蛙や虫の声に風と森のざわめき、それに日の光が想像していたよりも陽気に溢れていたのを覚えている。それと比べると、死後に過ごす場所としては、これくらい静かな場所の方が適していると感じる。

風がなく穏やかだ。気温は10度ほどで、山のひんやりとした空気を感じるが、ここまで登り続けて背中が汗ばんでいる。チェスターコートを羽織っていると少し暑い。
上の方からゴウゴウと機械の音が聞こえる。そこには、ブロワーで落ち葉を掃く人がいた。山頂から掃きながら降りてきているらしい。しかし、彼とすれ違い、少し進んだ先ではもう落ち葉が積もり始めている。このペースで散るのなら、あっという間に山が剥げてしまうように思えるが、どこから降るのか紅葉の雨は止まない。この量を毎日山頂から山裾へ降ろしていけば、いつか麓は紅葉の海となって、標高すら変わってしまいそうだ。数百年後にはきっとこの登山も楽になる。

少しずつ視界が開けてきて、参道が終わり、境内として整備されたエリアに入った。急勾配の石段を登っていく。一段一段が大きい。
そして山の中に現れる大きく立派な建物は超常的で、貧相な語彙では「天空の城」としか思えない。伝説の武器の一つや二つ当然に置いていそうだ。それらしい魔法陣が描かれた場所に立って、天狗パワーを受け取っておく。達成感からくるアドレナリンといえばそれまでだが、気が満ちるのを感じる。

さて、お寺の中をぐるっと回ったら、休むことなく貴船に下る。寺の裏に隠されるように抜け道があってワクワクする。義経も夜な夜なこの道を通って天狗の修行場に行ったらしい。
下るとは言ってもまだしばらくは上りで、これがまた急勾配だ。階段として整備されているところも多いが一段が高く、たびたび手すりにつかまりながら登っていく。大人でも厳しい山道で歩き疲れたのか、外国人の子供が水路に嵌まって寝ていた。

木の根道は貴船までの間では最も高い場所にあり、風が通って少し寒い。しかし、これでも鞍馬山の頂上ではない。山の聖地でパワースポット巡りなんて安易に考えていたが、想像していた以上にしっかり登山だった。
地を這う木の根はもちろん見事だが、天に大きく伸びる杉もまた素晴らしく感じる。北海道ではあまり大木を見る機会がない。由岐神社のように、神樹のレベルになると一層大きいのだろうが、京都はその辺に生えている木ですら北海道では祀られるレベルだ。まるで大きな一つの生命体が山にしがみついているように見える。パワースポットだとか、天狗がいたとかそういう話にもうなずける。

ここからはやっと下りだ。途中、また義経を祀るお堂がある。義経はあちこちにお墓があって愛されているな。

途中、天狗の通り道を見つけた。倒れた木から新たな命が芽生えていて、この場所の歴史の長さを感じる。

魔王殿を過ぎると、水の音が聞こえてくる。川が近い。貴船はもうすぐだ。しかし、相変わらず急勾配で油断ならない。階段の幅も昔の日本人サイズなのか、幅が狭く歩きづらい。つま先側を乗せるには踵がぶつかってしまうし、縁に踵を乗せるには不安定で怖い。足の大きな外国人はどうしているんだろう。
そしてこの辺りは薄暗い。山の北西に位置しているためだが、背の高い樹木が枝葉を広げているせいでもある。途中にあった立て看板によると、山のライフサイクルはこうだ。何もない土地にはまず太陽を好む陽樹が生える。陽樹が成長し、枝葉を広げて日影が増えてくると、日影でも成長できる陰樹が勢力を拡大していく。陽樹は次第に淘汰され、陰樹が繁茂しきるとそこは陰樹しか生えない森になる。これを極相林といい、このあたり一帯がそうだという。なるほど、薄暗いことの証左だ。どこかのSNSみたいだな。
極相林になるには数百年がかかるそうだが、義経が生きたのは1100年代後半だ。当時はまだ陽樹があった可能性はあるとすると、景色はまた違ったんだろうか。でも天狗とこっそり修行するような場所とすると、薄暗くてじめっとしているくらいが似合っている気がする。

やっと貴船に着いた。この辺りには旅館や食事処が何件かあるので、昼食としよう。
コメント