主人公がいくつもの国を旅して行く先々で不思議な出来事に遭遇するというのは、後発ではあるが『キノの旅』に似ている。
それでも本書の方が内容が濃く感じる。
その理由は、『旅のラゴス』には時系列が存在し主人公が年を重ねていくことと、各都市での出来事を最小限の描写にとどめていることでかえって想像の余地が生まれていることにあると思う。
250ページでこれだけ冒険した気分に浸れるとは。
笹本祐一の『妖精作戦』やハインラインの『夏への扉』のような濃さ。
それでいて、主人公最強無双系のいわゆる「なろう小説」のような爽快感がある。
始めは北大陸の学校で学んだ知識を使い、後半は先人類が残した知識を使って他人より優位に立ちまわる。
特に後半のラゴスの知識は舞台となる世界においては完全無欠と言って良く、その知識が社会に対して急激な変化を与えてしまわないように、その力の行使をセーブする必要があるほどだ。
彼の知識は神から突然与えられるというような無根拠無背景のものではなく、旅の危険と知識を吸収するための長い年月を捧げたことによるものなので「なろう」よりも納得がいきやすいと思う。
でもそれだけの力を得て、多くを手に入れることができるのに、読み終えた時に寂しくなるこの不思議な感じはどこからくるのか。
そこには「ラゴスに欲がないこと」が影響している。
彼は金銭や社会的地位・名誉を追い求めてはいないし、特定の女性に対する感情も妄執とは違う。
旅の目的である先人類の知識についても独占しようとはしない。
彼の旅そのものと同様に、ものに固執せずさすらうような生きざまを運命づけられているかのようだ。
ラゴスは何も得ようとしないのではなく、何も得ることができないのかもしれないと考えると、これだけの知識を携えて人に頼られるラゴスがなんだか可哀そうに思えてくる。
もし自分がラゴスと同じ旅路をたどったとしたら、銀鉱でラウラと暮らしていたかもしれない。
なんとか自分の旅の目的を思い出して南の大陸に進んだとしても、あの王国を抜け出すのは無理だ。
だってニキタもカカラニもかわいすぎないか?
でもラゴスを見ていると、人は多少の欲は見せた方が幸せになれるものなのかもしれないと思った。
もし最後に彼が唯一追い求めたと言える氷の女王に会えたのなら、そこでは安息を得てほしいと願わずにはいられない。
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