殺人鬼が出てくるようなハリウッド系のホラー、あるいは幽霊が出てくるようなジャパニーズホラーはある意味わかりやすい。
超常現象であることがはっきりしているからだ。
そして、対処するためにはどうすればいいか(例えば弱点など)もルールに盛り込まれていることが多い。
それらは確かに恐ろしいものだが、有効かどうかはともかく一手ずつ対処していくことができる。
しかし、『夜行』の怖さはそういう類のものではない。
どうやらおかしなことが起きていることはわかるが、それが超常現象なのか現実なのかはっきりとしない。
夜行という絵にかかわった人の共通項や怪奇現象のルールもはっきりとしない。
すると、どう対処すればいいのか、そもそも対処できることなのかどうかもわからない。
不可解な出来事を目にしながら、状況を把握できず何も手に付けられない状態が恐ろしい。
夜行という絵の謎を追い求めてミステリのように読んでしまうと、すべてが説明されないことに納得できないかもしれないが、その全容をつかむことができない状況がこの作品の怖さであり良さだ。
全編を通して、物語にはほんのりと怖い雰囲気が漂っている。
うすら寒い感じと寂しさみたいなもの。
作中の文章でいうなら、「子どもの頃、午後にうたた寝などをして、唐突に目が覚めた時のような感じでした。家がよそよそしく感じられて、家族の姿はどこにも見えない。自分がどこにいるのか誰も教えてくれない。何か大事なできごとが進んでいるのに自分だけが置いてけぼりになっている。そんな感覚」。
登場人物の言動や情景描写は不自然ではないけれどもどこか印象に残る書き方をしている。
その後なんてことのない出来事がつながっていくとき、複数の人物により同じ発言がされたとき、頭に引っかかっていた描写がフラッシュバックしてぞっとする。
この肌触りには覚えがある。
文豪の名作を森見登美彦が現代風に書き直した短編集『新釈走れメロス』の中の「百物語」に似ている。
うすら寒い雰囲気の中に放り込まれ、気が付けば物語が終わっているあの感じ。
美しさの中にある怖さみたいな文章表現は「桜の森の満開の下」に近いか。
本作ではそれらが一層研ぎ澄まされていた。
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