小嶋陽太郎『火星の話』

読書

過不足がない。
エピソードも登場人物もみんな必要で、「ここはもっとこうしたらいいのに」というのが私には思いつかなかった。

見どころは2つだ。
まずは主人公の「僕」とヒロインの佐伯さんの関係。

佐伯さんは自称火星のお姫様で、内戦から逃れて地球に来ており、18歳になると火星に戻らないといけないという。
そして火星との通信をなぜか太鼓の達人で行っている。

「僕」は佐伯さんを変だと思いつつも少し気になっていて、ふとしたきっかけで彼女が火星の姫として暮らしている夢を見るようになる。
「僕」は火星の話を少し疑いながらも信じ始めていて、佐伯さんと交流を持つようになる。

読み進めていくと、火星の話が本当なのか嘘なのかわからなくなってくる。
佐伯さんは火星の現状を本気で憂えているようだし、でも火星の話には明らかにおかしい箇所がある。
「僕」は佐伯さんが嘘をついていると気づいていながらも付き合っているんじゃないか、佐伯さんも嘘が「僕」にばれていることに気付いているんじゃないかと深読みしてしまう。

火星の話のせいで二人の関係はずっと脆さを抱えていて、しかしそれ故に日常のシーンがとても美しく見えてくるのがおもしろい。

火星の話が真実がどうかは、ラストになって、これが何のためのどういう物語なのかを考えれば、答えは出てくると思う。

2つ目の見どころはやはりラスト。

この作品は、全体としてみれば、モラトリアム小説ということになるのだろう。
同級生の高見さんは「私も国吉君も佐伯さんも、ぬるま湯に浸かってる。それが心地いいんだけど、ずっと続くわけないってわかってる」と、それっぽいセリフを言っている。
モラトリアム小説だから、主人公が大人になる1歩をどう踏み出すかが焦点になる。
そしてそれは大抵痛みを伴う。

『火星の話』はそこに「僕」の恋心も絡んでいるからやや複雑だ。
無気力に生きている「僕」でも、佐伯さんのためにはなりたい、火星には行かないでほしいと考えることができているのだ。
でもそれもやはりまだまだ子供の考え方で……。
ラスト10ページで「僕」が今まで何をしていたのか客観的に気付く瞬間は残酷ともいえる。
著者の文章が上手く、一気に思考が整理されて、現実が突き付けられる。
昔を思い出して身につまされる思いがした。
切ない物語だったが、佐伯さんは強いし、「僕」も大人になる決意ができたようで、いい結末だ。

著者は執筆当時大学生だったそう。
登場人物が高校生とはいえ、自分とあまり変わらない年代をこうも上手く捉えることができるのがすごい。
大人になってから振り返って思春期の自分を理解することはできても、現在の自分の状況を客観的に把握することはとても難しい。
2014年デビューで本書も2015年の作品なので、まだまだこれからの作家であることは間違いないが、もし埋もれてしまうようなことになれば惜しい。
『火星の話』は『今夜、きみは火星にもどる』に改題して10月に角川文庫から出たばかりなので、ぜひ多くの人に読んでほしい。

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